不登校になるのは、甘やかしすぎだという主張があります。
これは明確に間違いです。
そもそも学校に行く義務がありません。「しなくてもよいこと」なのです。「しなくてもよいこと」をさせないだけです。
「するべきこと」をさせずに放置するなら、「甘やかし」と言うかもしれません。しかし、そもそも「するべきこと」ではないのです。
もし「やらなくてもよいこと」をしないことを、「甘やかし」という人がいるなら、その人は日本語を勉強し直したほうがよいです。
もちろん、将来のことを考えると勉強をしておいたほうがよいでしょう。しかし、それは学校でする必要はありません。
集団生活やコミュニケーション能力を高めたいなら、なおさら学校に行く必要はありません。学校で学べるのは”空気を読む力”のことですが、言い換えるとこれは”同調圧力に沿う力”です。これは幼稚園児でも持っている能力であり、学校で鍛える必要はありません。むしろ、感情を配した話し合いができなくなるデメリットの方が多いでしょう。また、コミュニケーション能力を高めたいのであれば、もっとコミュニケーション能力が高い人たちと触れ合う機会を作るほうが確実です。コミュニケーション能力が発達途中の、同級生や上級生との間で学ぶ必要はありません。よいコミュニケーションの実例を大人が実際に示したほうが、子供にとって学びがあるはずです。
毎日運転しても運転技術が上がるわけではありません。技術を高めるには、そのための特別な訓練が必要です。学校には、集団生活を送るための特別な訓練手法も、コミュニケーション能力を高める特別な訓練手法もありません。ですから、これらを目的としていく必要はないのです。
学校に行くとよいことはあります。そして、不登校で損をすることもたくさんあります。しかし、行く必要はない。必要がないのだから、甘やかしではないのです。
むしろ私たちは学校を甘やかしすぎてきたのだと思います。暴行罪や傷害罪を体罰と呼び、義務ないことをさせる強要罪を「指導」と呼んできたのです。守るべき法を守らずにいる学校を、「甘やかしすぎた」と私は思っています。塾や家庭教師だったら絶対に許されない行為を許しすぎたのです。
そもそも学校に行く義務などありません。(保護者は子供を学校に行かせる義務はあります。しかし、それは子供の学習権を守るためです。)
ですから、学校に行かないことは甘やかしすぎたからではありません。心ない言葉に騙されないでくださいね。
0コメント