フリースクール『ワクノソト☆』の三國雅洋です。
不登校の原因は愛情不足だと言う人がいます。
馬鹿げた話です。
愛情というものは物理的なものではありません。
愛情を注ぐと行っても、愛情自体には形も重さも手触りもありません。
そのため、愛情が注がれているかどうかを確認するには、学校に行ったかどうかで判断するしかなくなります。
これはつまり、「学校に行ったら、愛情が足りている」と判断するのと同じです。
実は、「『学校に行く』ならば『愛情が足りている』」と、「『愛情が不足している』ならば『学校に行かない』」は、論理的にも同値です。
そうであるならば、学校に行っている児童・生徒が全員、愛情が足りているという結論になります。この時点で、上記の命題が偽であることが明らかです。
また、常識にも考えてみましょう。
児童・生徒が習い事に行きたがらないのは、保護者の愛情不足だからでしょうか。
習い事の内容が退屈なだけかもしれませんし、ただ疲れているだけかもしれません。
遭いたくない人がいるのかもしれません。
いずれにしても、愛情不足だからだと考える人がいたら、その人はとても珍しい考え方の人に違いありません。
学校は教育機関の1つに過ぎません。
ですから、学校と塾などを、別のものとして考える必要はありません。
そもそも、児童・生徒に学校に行く義務はありません。
本人が行きたくないなら、行かなくてもよいのです。
不登校はたしかに、まだまだ普通ではありません。
そのために、さまざまな不利益が生じます。
ですから、その不利益を減らすための工夫は重要です。
しかし、愛情を注ぐことで学校に行かせようとする働きかけをする必要はありません。
愛情を注ぐことと、学校に行くことには関係がありませんから、する必要がないのです。
私達にとって大切なことは、学校に行かないことによる不利益を、減らす工夫をすることです。
そして、同時に行かないことによる利益を、増やす工夫をすることです。
そこに必要となるのは、常識の外側に出て考えることです。
私達はただでさえ、時間的な余裕がありません。
「不登校は愛情不足が原因」という迷信に、頭を取られている時間はないはずです。
学校に行かないことによる不利益、利益について考えてみましょう。
そして、それらを減らし、増やす方法を考えていきましょう。
0コメント