不登校は「甘え」だとという人がいます。
— フリースクール ワクノソト☆(福井県敦賀市) (@WakunosotoAltsc) June 18, 2018
しかし、普通ではないことをすることが、どうして甘えになるのでしょうか。
今の日本において、普通でないこをするのは、茨の道です。
それは勇敢なことではありますが、決して「甘え」なんかではないのです。
不登校は甘えだと言う人がいます。
これは教育のゴールを分かっていない人の言葉です。
私は行政書士・コーチとして、パワハラ問題にも取り組んでいます。
その中で本当に死ぬ寸前までいってしまうのは、続けることが美徳だと思っている人です。
その職場でどのような扱いを受けていても、続けることが、正しいことだと思っています。
「耐える必要のないことを、耐える人」とも言えます。
手段を目的化してしまう人とも言えます。
私がこのような人々に対して行うのは、ゴールの確認です。
何を達成したいのかを確認していきます。
すると、こんな場所にいる必要はないと、自ら気づくようになります。
そうすると、やっと辞めることができるようになるのです。
学校は、教育という目的達成のための、手段の1つに過ぎません。
塾や家庭教師、スタディサプリなどと同じです。
その学校が、自分の成長に役立たないなら、当然にそこから離れてよいのです。
学校も、塾や家庭教師などの教育システムの1つに過ぎないのに、なぜ学校に行かないことが「甘え」になるのでしょうか。
むしろ、学校に行かないのは勇敢な行為です。
大多数の人は、学校に行きます。不登校は少数派になるということです。
この日本において、少数派というのは茨の道です。
普通でないことは、勇敢でなければできないことです。
大多数の人は、学校を休むことができません。
自分にはできないからこそ、学校に行かない人を「ずるい」と言ったり、「甘えだ」と批判するのです。「ずるい」と思うなら自分も行かなければよいのですが、それが怖くてできない人が他人を批判します。
あなたは、どのような経緯にしろ、「行かない」、「行かない方がいい」と判断したのです。
少なくとも学校に行くことを、総合的に考えたときに自分にとって不利益が大きいと判断しました。
そして、その判断を実行に移したのです。
大多数の児童・生徒には、それはできないことです。
不登校を甘えだという人はよく、「自分も辛かったが、学校に行った」と言います。
しかし、その人達は本当に「学校に行かない」という選択肢を持っていたのかは分かりません。
何度も言いますが、大多数の人は「学校に行かない」ということをできないのです。
どのような経緯にしろ、自分を守るため、自分の成長のために学校に行かないという選択をし、それを実行に移せたことは素晴らしいことです。
不登校は甘えではありません。
学校に行くという手段が大切なのではありません。
大切なことは、あなたが成長をすることです。
そのための手段として、学校に行かないという普通でない手段を選んだのは、勇気がある行動です。
「不登校は甘え」という、教育の手段と目的を取り間違えている人々の言葉など、真に受けないでください。
不登校は甘えではなくて、むしろ勇気ある行動です。
学校に行くという手段ではなく、自分の成長という目的に焦点を合わせ続けましょう。
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