不登校に対する偏見と戦おう

フリースクール『ワクノソト☆』の三國雅洋です。

私は、不登校問題の根本にあるのは不登校に対する偏見だと思っています。

不登校に対する偏見が、子どもと保護者を苦しめています。

子どもが不登校を選び、または自由登校を選ぶと、たしかに不便なことは多くあります。

しかし、不便であるからといって、不幸せになるわけではありません。

子どもと保護者は、不登校に対する偏見によって苦しめられるのです。

「不登校は不幸じゃない」というイベントがあったように、不登校は不幸だという偏見があります。私達を苦しめるのは、この偏見です。ちなみに私は、「不登校は不幸じゃない」という言葉には、「何当たり前のことを言っているんだろう」としか思いません。「左利きは不幸じゃない」という主張と同じように感じます。学校に行かない人は少数派ですから、少数派であるための不便はあります。しかし、少数派だからといって必ずしも不幸ではないでしょう。私達を苦しめるのは、「不登校は不幸だ」という偏見です。

他にも「不登校は悪いことだ」という偏見もあります。子どもに学校に行く義務はありませんから、悪いことでは決してありません。そもそも学校に行くかどうかは、子どもが決定すればよいことなのですから「学校に行かないのは悪いことだ」というのは、完全な不勉強な人の発言です。ですが、「不登校は悪いことだ」という主張する不勉強な人が多いために、偏見に苦しめられます。

逆にいえば、この偏見に打ち勝つことさえできれば苦しみは大きく減ります。

では、どうすれば打ち勝つことができるのでしょうか。

それは、不登校の子どもと保護者が、堂々と振る舞うことです。まるで学校に自由登校するのが当然かのように振る舞い続けることです。「学校行っていないの?」と尋ねられたとき、心の中で《この人はまだ学校に行かないのが悪いことだと、思い込んでいるんだな》と慈悲の心を差し向けることができるようになることです。

「銀髪のピアニスト」という名刺を持っていた当時大学生の友人がいますが、その友人はまるでそれが当たり前のようにしていたので、誰も何も言いませんでした。非言語で「これが当然だ」と主張され続けると、周囲はそれを受け入れざるを得なくなります。

私達がやるべきことは、非言語で「学校は、子どもが自分の意志で行くところだ」ということを主張し続けることです。言語で主張するよりも、非言語(態度、動作)で伝えるほうが効果は明らかに高くなります。

一緒に、偏見と戦っていきましょう。

学校に行かない以上、ある程度の不便は仕方がありません。それは少数派であることによる不便であって、ある程度は受け入れざるを得ません。

しかし、偏見に苦しめられる必要は全くありません。私達の一番の敵は偏見です。

偏見と戦っていきましょう。





カラフル ~ふ登校カフェ~(親の会) &ワクノソト☆ 福井県敦賀市

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